2017年4月20日木曜日

管理可能限界とAI (5)

AIと人間のどちらが選ばれていくか
 
業務を分析、再構築をしていくと明らかに人が介入する必要のない機能が出てくる。5人でできることを10人でやっている、が明らかになってくる。
だからといって、すぐに5人減らせと云うわけではない。
その手続きにどのくらいの作業量が見込まれ、時間がどのくらいかかるかが課題となる。
 
このとき、人を使っていれば、どうなるか。
AIで遂行していれば、あっという間に手続きが終わる、つまりはコストを最小限にできることが分かる。人間であれば、採用してからのコスト(習熟までの時間)、運用時のコスト(年休、けが、病気など)、退職のコスト(手続き)がかかってくる。
 
つまりは、管理可能限界の視点から考えると、AIはコスト的にもビジネスのスピードに追随するにしても、拡張性から見ても人間に勝る。
 
どちらを選ぶかは、資本主義の「儲け続けなくてはならない」がコンセプトであれば自明であろう。

(続く)


2017年4月17日月曜日

管理可能限界とAI (4)

 この「管理可能限界の拡張または拡大」が引き起こす最大の「こと」は、会社におけるミドル層の絶滅である。
もしくは、ビジネスの全体像を知る人間がわずかでも多角的な経営が可能になることである。複数事業からのほぼ毎日のキャッシュフロー分析、フォアキャスト分析、在庫管理などはAIに向いているため、人が行う必要性がない。

 世界はカテゴライズされ、可視化され、見えない階層、見えない国がなくなってきている。
 
 ただ、そこにいる人間は記号になってしまうが。
 
最初の話で、大企業の中の事業部はどのようにして分かれるかということを言った。
そこで利用される言葉の数だと。
1事業部は、約1000語~1500語であり、実はこの数がキーマンと呼ばれる、その事業部のスペシャリストの持っている語数だった。
しかし、おわかりのように「管理可能限界の拡張または拡大」によって、この語数は増やすことができ、ついて行けない人々はミドルではなく「作業員」になるしかない。
 
ある種の「蛸壺」を作ることでミドルは生き残ってきたが、これからはそれを望めなくなったと云うことなのだ。

(続く)


カイシャで働いてはいけない

カイシャと人生が近すぎる
 
 なんだろうな、刑事ドラマを見ていると不思議に思えてくることがある。
出てくる警察官、刑事、キャリアが帰っていないようなのだ。殺人事件が起きたのだから仕方がないのか?

 通常、生活者として日本に暮らすカイシャ員を考えた場合、勤め先、暮らす家、その他の集まりの少なくとも3つの場所を行き来しながら生きているはずである。
しかし、勤め先、暮らす家で終わってしまうカイシャ員も多い。
 
私がIT業界に入って最初に派遣された某情報システム会社では、運用オペレータだったが、土曜日によく係長と喧嘩をしていた。
私は土日もオンラインが動くわけだから仕事であったが、土曜日なんて来なくていいのに、係長は来るのである。
60名から居た運用課も土曜日に仕事をしているのは、我々8係くらいだから、気軽に喧嘩をしていた。(ところが、課の主だった人達には有名だったらしい)
 
喧嘩の原因は主に勤務条件だったと思う。
3交代勤務としか言いようのない勤務状態だったにもかかわらず、認められるのに数ヶ月はかかったように記憶している。
 
それにしても、カイシャの好きなおやぢは多い。
係長が何の仕事か知らないが、土曜日まで出勤して来ていたのだ。
 

どうも、カイシャ好きのおやぢは仕事をしているらしいのである。

2017年4月7日金曜日

管理可能限界とAI (3)

AIは当然のごとく、「作業」員を淘汰する。
 
例えば、類似特許の調査という仕事があったとすると、それは検索に他ならない。人手で行うと漏れが出るが、Aiが行えば抜け・漏れはなくなる。
対象の特許データが全てデジタル化されていることも大きいが、AIでの検索であればスピードも正確さも圧倒的になると云うことになる。
 
 業界も淘汰される場合がある。
例えば、旅行業界の手配エージェントである。
ホテルも移動手段も必要だが、手配するエージェントは検索の世界である。
海外旅行であれば、ニホンとの時差も含めて瞬時に予算の範囲での手配が行え、購入もできる。
 
様々な卸という仲介業が淘汰されている現実は、対象の商品が世界、もしくは国内でのユニークな商品コードを付与され、webに掲示されている。
信用情報は、webに掲示する企業・個人が掲示すれば良く、これまた検索の世界でしかなくなる。クレジット会社、ブロックチェーンなどが保証していく世界である。

(続く)

2017年4月6日木曜日

管理可能限界とAI (2)

管理可能限界は時代と状況で変わり得るものである。
 
80年代には一人の部長が管理できるのは、30人から50人と云うところであったが、今はどうであろうか。200人、300人というケースもある。
管理可能限界が引き上げられた、もしくは拡張されたのである。
そこには、パソコンの普及に伴う仕事の進捗チェックが簡単になったこともあるが、総体的に「作業」が早くなったことがある。
つまり、「仕事」と「作業」が層別され、従業員も見えない層別がされたのである。
 
「作業」に従事する人員の進捗チェックは楽なものであるが、計画を「作業」に分解して指示を出し、結果を管理する「仕事」をする人は相変わらずの人数である。
ということは、1案件に関わる「作業」は増えていて、「作業」員は増えているが、管理内容はそれほど変わっていないともいえる。
 
そこにAIの登場である。

(続く)


2017年4月4日火曜日

管理可能限界とAI

管理可能限界とは私の造語である。
 
まずは定義である。
・例えば、管理職における部下の人数
 80年代には一人の部長が管理できるのは、30人から50人と云うところであった
 ※当然、個人差がある
・一事業部における言葉の数
  だいたい、1000から1500語であった
  ※幾つかの大企業におけるDBを設計してみての感想である
 
つまりは、人間の管理可能(内容を理解し応用できる)数量、部下であったり用語であったりするもの。

(続く)


2017年4月3日月曜日

AI、ロボットに課税する時代

ニホンも遅れている。
 
AI、ロボットが省力化に貢献しているならば、そこに税金をかけるのは当然だろう。
そしてベーシックインカムの予算にしていくべきだろう。

スキル転換をできない、単純労働しかできない国民が何千万人も出てきて、彼らには基本的な生活資金を配布するしかなくなるからだ。


安倍晋三は英語を話せない、理解できなくて幸いである

アメリカ議会における安倍晋三のスピーチを見て、聞いて、これは幼稚園児のお遊戯だ、周りは拍手するしかないと思った。
 
だが、英語があそこまでできないと、英語でコントロールはされない。

唯一の利点だな。