個人へ向かう 2003.4.24日記から
携帯電話と個人メールアドレスの普及は、企業ー企業の取引パターンに隠れていた、個人ー個人パターンを白日の下に晒す。
10年ほど前にIRM研究会の中で、全国SEランキングができるとシステム開発は楽になるよね、などと話していた。システム開発プロジェクトが個人依存であることは、そのころから自明の理であった。会社を探すのではなく、個人を捜す必要性を、皆が認めていたと云うことである。
今で云うところのプロジェクトマネジャ、優れたディレクタ、コーディネータを持ってきてそこに開発を依頼すればよい。システム開発プロジェクトは産業革命以前の状態にあり、これは未だに解消されていない。個人スキルが総てであり、他の要素はあまりに小さいと云えよう。「銀の弾丸」は夢のまた夢である。
こういった状況の中に、携帯電話と個人メールアドレスの普及がどういう効果を現しているのか?
以前は個人にアクセスするための方法は、企業を知り、部署を知り、電話番号を入手してようやく実現できたが、現在はどうか? インターネットの検索エンジンで個人が特定でき、ひょっとしたら個人でホームページも開設しているかも知れない。知り合うまでは時間がかかり、手間暇は同じかも知れない。しかし、その後のアクセスは容易だ。相手が興味を持ってくれる限り、アクセス可能となる。時間も飛び越えていく。直接に個人と会話できるわけであるし、携帯の番号は信用できそうにない相手には明かされない。メールは受け取った本人の意思で返信が来る。返信したくなければ、しないのである。
いきおい、従来型のソフトハウスという形態は影響を受けていくのであろう。例えば、ゼネコンにおける大規模工事の受注は、実は現場長個人への依頼である。現場長はXX組などといって下請けでありながら、優秀な職能集団を作り上げ、それを率いているのである。清水建設という日本では3大ゼネコンの内の一つでありながら、実態は年に2000現場、200人の現場長で稼いでいる。
同じような形態は、映画産業にも見られる。有名は黒澤監督には黒澤組という職能集団が付いていた。ヘッドを失いながらも昨年は良い映画を世に出している。
最終的にはプロジェクト単位で人を迅速に集め、開発し、運用のデータセンタにシステムを引き継ぐ。そんな形態が実現して行くであろう。避けられない変化である。建築設計、シナリオライタ、システムデザイナ、ユーザと要件定義をしている人々のスキルである。