ここ3年ちょっと読んでいる本がある。
歴史系の本だ。そこにマネジメントがある。
確かに美化されているかも知れない。ご都合主義かも知れない。
けれどね、面白いのだよ。そこには歴史が動いた事実がある。人が動かすしかないんだ。
何が駄目だったのか、どうして駄目だったのか。
全く他人には見えないかも知れない。
ただ、あのジェネラルマネジャは理解していた。おいらが、本質的なところでPMではなかったことを。
悔しいではないか。
けれど、そんなに大きめのプロジェクトのPMの椅子が来るのは難しい。
だからこそ、ここで待った、待ったのである。
ただ待つだけで仕事が来るとは思わないでくれ。
どれだけ人に会ってきたか。おいらが何をできるか、それを売り込んできた。
時は残酷なのだ。
今日がベストコンディションであっても、その今日は気力・体力・知力を失ってしまった年齢になるかも知れないのだ。
もう1年、総合商社の契約があったが、そんな楽をしていたら戻れなくなる。
ギリギリの決定だった。
きっとね、プロジェクトの中にしかおいらの場所はないんだろう。
何度も何度も考えてきたが、頭の中で考えていても始まらないのである。
現場が無くてはどうしようもない。それだけで好いのだ。
前に進むには、もう一度現場でやり通すしかない。
やっておかないと、負け犬のままで老いを迎えることになる。
それで好いのか?
そんなはずではなかった、そんなことは言いたくない。
様々に想いを巡らしてきたが、ストーリィが足りなかったことも思い当たる原因である。
ゴールがどうなっているか、それを自分で腹に落とす。
いや、どうしたいかが問題だった。
どうしたいか、それはゴールをどこに落とすかを自分で決めるのが肝だった。
そして本当のステークホルダを見極め、どう動かしていくか、そんな程度なんである。
後は、タイミングだ。
どこから手を掛けて、どこへ持って行くか。日本の会社とやるのだから、その風土に合わせることは恥じゃない。
下手なプライドは捨てることだ。
それだけ、待ったのだ。ここまで待って、そしてやるのだ。
やり通すだけなんだ。
どれだけの夜を悔しさに包まれて待って、待ってきたことか。
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